血統表を上からながめる

先日は、父方直系の先祖1頭を指して競走馬の能力・特性を推測することへの違和感を書きました。
その際、血統表という概念図の面積を引き合いに出して、そこでかつての名馬が占めている面積の小ささを指摘して影響力に疑いを示しました。まあ、言ってみればイメージの世界の話です。
ところで、そもそも父系によってのみ受け継がれる資質というものはあるのでしょうか。
もしそれがあるのならば、そしてその資質が競馬にとって重要なものならば、血統表中の面積とは関係なしに父系を論じることは意味を持つことになります。


調べてみました。
まず、「母や母方の先祖からの影響を受けず、父からのみ受け継ぐ資質」があると仮定して、その場合、父は子にどのタイミングで、どうやってそれを伝えているのでしょうか。
それは、交尾の際、受精卵の精子から伝えたという場面だけに限定できると思われます。
多くの競走馬の場合、生まれてから一度も自分の父に会わずに成長していきますから、遺伝のメカニズムの範囲外のことは無視できるといえます。


それでは次に、遺伝のメカニズムの中に注目してみます。


(ここからしばらくは、専門外もいいところの分野の話なので、おそるおそる書いてゆきます。間違いや調査不足な箇所もあるかもしれません。)


サラブレッドの場合、32対・64本の染色体を持っていますが、うち、31対・62本の常染色体については父経由・母経由に遺伝上の差はありません。必ず父経由の因子が顕在化するなどということは起こりません。
残る1対・2本の性染色体についてはどうでしょうか。父馬の場合、X染色体とY染色体というタイプの違う染色体を1組につき1本ずつ持っていて、1つの精子にはどちらか片方だけ含まれることになります。
そうすると生まれる子供の性別(X染色体が入った精子が卵子に入れば牝馬が生まれ、Y染色体が入れば牡馬が生まれる)に関係なく、父が子に何かを引き継がせることは不可能になります。(母馬の性染色体はX染色体とX染色体なので、受精卵でX・Xの組み合わせになった場合、常染色体の場合と同じく父由来・母由来の差がなくなる)


少なくとも、母の影響にとらわれず、父から娘へ確実に受け継がれる資質というものはないと言えそうです。


では、父から息子へはどうでしょうか。牡馬が持つY染色体は父由来のものですから、ここにのみ含まれている遺伝情報は、父方直系の牡馬たちが共有する情報のはずです。
これについては、調べた限りでは、Y染色体固有の遺伝情報はあるものの、競走能力に大きな影響を与えるようなものはないようです。
遺伝因子そのものだけでなく、Y染色体由来の男性ホルモンの働きで器官の発達に特別な差異が出るかとか、男性ホルモンによってそぎ落とされる部分(メスにのみ残る部分)の影響があるかなども考慮してみましたが、それについても影響を指摘する資料にゆきあたりませんでした。


つまり、個々の競走馬の能力を推し測る上では、父方直系による競走馬の分類というものにほとんど価値がないのです。


種牡馬には、産駒の良績が短距離戦・ダート戦などに偏るタイプの馬が確かにいます。
しかしそれはその種牡馬自身の遺伝因子の特性によるものではあっても、父方直系の「家柄」によるものではありません。
テスコボーイサクラユタカオーサクラバクシンオーのように、3代続けてスピードホースを輩出する種牡馬になり、もはや「家柄」と考えられている例もありますが、それは交配された牝馬の血との組み合わせが、短中距離向きの遺伝因子を色濃く残したためであって、言ってみれば「たまたま」のことです。
同じテスコボーイからの流れでも、トウショウボーイミスターシービーの流れでは様相が異なります。三冠馬ミスターシービー種牡馬としてはそれほどふるいませんでしたが、代表産駒のヤマニングローバル(目黒記念)、メイショウビトリア(ステイヤーズステークス)がそうであったように、産駒の良績は中長距離戦よりに多く分布していました。
同じ祖父を持つ2頭の種牡馬の産駒成績がまったく異なるのは、(当代を含めて)累代交配されてきた牝馬の血が違うのですから、言ってみれば「当たり前」のことなのです。


逆に、父系が同じだけの2頭より、父馬が同じ2頭の方や、母馬が同じ2頭(半兄弟)の方が遺伝因子の近似性は高いでしょうし、それらよりも全兄弟の方が似かよっている可能性が高いでしょう。
つまり、2頭の共通の先祖が近い世代であればあるほど、遺伝的な個体のバラつきは少ないということです。
ですから、血統から競走能力を推測しようとするなら、遠い先祖の1頭よりも、父親自身の方をずっと重要視すべきなのです。
同時に、染色体の半分は母由来ですから母親も重要であるし、父と母の組み合わせもまた重要なのです。


この血統についての考え方が、時間的に余裕のない時の馬券予想に不向きなことは承知しています。
たとえばパドックを周回中の馬が、マル外で見慣れぬ名前の種牡馬の産駒のような場合、同じ父の仔で過去にそのコースを走った例が少ないので(ゼロかもしれない)、父の名前でコース特性を判断するのは難しいでしょう。
でもだからといって、「ミスプロ系」なので、といった理由で取捨選択するのは意味がありません。
もっと精査する必要がありますが、インターネットにつなげない状況ならば、累代の血統表も、種牡馬成績のデータもなかなか調べられません。
それならば、いっそのことその馬については血統を予想のファクターから外すべきでしょう。
僕はそう考えます。