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星座

地方競馬通算29戦29勝。平地競走の日本記録を打ち立てたドージマファイターは、1996年2月に足利競馬場での初勝利を挙げている。

もっとも、ドージマファイターの競走馬デビューはこのレースではない。

1995年9月に中央競馬でデビューし、5戦0勝の成績だった。

この後骨折が発覚し、中央競馬では見限られた格好で地方に移籍となったわけだ。

骨折以外にも蹄に慢性的な不安を抱えていたが、一方では中央競馬で入着があり能力を垣間見さていたドージマファイターは、足利競馬・宇都宮競馬でコツコツと白星を積み重ねてゆく。

中央での大きな挫折から立ち直った馬が北関東で連戦連勝している・・・マスコミに採り上げられたことで競馬ファン以外からも知られるようになったドージマファイター

途中長期の休養を挟みながら、1999年4月25日にはついに日本新記録の27連勝を達成。

誰が呼んだか「リストラの星」、レース出走の日には遠方からも大勢の人が競馬場に詰めかけるようになっていた。

ちなみにドージマファイター、前走から半年の休みをとっている間に降級して、この日は北関東B2B3クラスのレースに出走している。A2B1クラスでも勝っているが、連勝の中身はほぼ北関東の下級・中級条件での白星だった。

しかし1勝は1勝、日本新記録29連勝を打ち立てた「リストラの星」は、経営の苦しい地方競馬場にひと時の熱狂をもたらし、2001年10月惜しまれながら引退した。

 

ドージマファイターが足利競馬に移籍するきっかけとなったのは、中央競馬のとある一人の調教助手の推薦があったからと聞く。

この馬の秘めた能力を認めたその調教助手が、彼の父である手塚佳彦調教師に受け入れを勧めたのだ。

この調教助手・・・手塚貴久助手は当時、中央競馬の調教師試験に挑戦していた。しかし幾度も不合格。

が、あきらめずに受験を続けた結果ついに合格し、1999年3月に手塚厩舎を開業している。厩舎の初勝利は、ドージマファイターが27連勝を達成した2週間前、1999年4月11日のことだ。

 

手塚貴久調教師が開業初年度に重賞勝ち馬を出して(ベルグチケット/1999年フェアリーステークス)順調な一歩を踏み出した一方で、佳彦師の主戦場である足利競馬は黄昏の時期に入っていた。

ドージマファイターが生む熱狂も、売上減少に悩む足利競馬場の経営を根元から救うまでには至らなかった。地場産業も低迷、足利銀行も多額の不良債権を抱える中では地域からの支援も充分には得られず、2003年には足利の競馬開催は打ち切られた。

翌2004年には高崎競馬が、2006年には宇都宮競馬が廃止となり、ドージマファイターの引退からわずか5年で、北関東から競馬は消えてしまった。

 

街から競馬は消えたが・・・人は残った。

厩舎開業から14年、手塚貴久厩舎の初のクラシックタイトルは桜花賞だった。

桜花賞馬アユサンのオーナー・星野壽市氏は高崎が地元で、かつては高崎競馬で長く馬主の活動をされていた方。

前日の怪我で桜花賞ジョッキーとはなれなかったが、主戦騎手に指名された丸山元気騎手も伊勢崎市の出身。いわば北関東の三連星である。

急な騎乗依頼ながら最高の結果を出したクリスチャン・デムーロ騎手をくさすつもりは全くないが、オークスではやはり丸山騎手に手綱を戻すことに理があるだろう。

オーナーにしてみれば、「足利の名伯楽の息子」と、「名手丸山侯彦の息子」に中央のクラシックを獲らせる・・・なんとも痛快なストーリーを叶える機会が来ているのだ。

 

さて、今週末はオークス。相手は強く、マークも厳しくなるが、アユサンはどう走り、どう輝くのか。楽しみである。